Hello! NEW 新居浜FM78.0で放送中の「ココロ音ラジオ和音」
この番組は皆さまからお寄せいただいた「子どもの声」と「大人の思い」を「和音」にしてお届けします。
進行・プレゼンター 山本清文
テーマ「帰り道」
学校からの、部活からの帰り道…記憶に残る「帰り道」のエピソードをお寄せいただきました。
大洲のリツローさん
川を挟んで向こう側の道路をあの子が徒歩で帰っていて、僕は自転車で対岸からこっそり同じペースで帰ってたなぁ…
好きな子が帰ってくるのが遠くから見えたので、白々しくそこで待ってて、偶然すれ違ったふりをして手を振ってた思い出もあります(笑)
もう一度経験したいような気持ち…
東播磨・神戸・姫路の北条早雲さん
兵庫県加古川市在住の24歳です、初めまして。MUSIC BIRDのいろんな生放送・収録放送の番組にメッセージを送っております。
テーマですけど、帰り道は思い出ばかり。中学校の帰りは徒歩で友達の家に寄り道。高校の帰りは自転車で大型商業施設に寄り道。そして大学の帰り道は電車で途中下車していろんな所に寄り道。こうして見ると寄り道のレベルがアップしているような気がしません?
ちびうささん
私が通ってた小学校は学年が17名。同じ方向に帰る同級生もおらず、1キロの登り坂をひとり歩いて帰ってた。あと一息でわが家ってとこには、ベタ踏み坂に匹敵するような坂があって、それを登り始めると、下の家のおばちゃんが縁側で日向ぼっこしたり、編み物したりして、私を見つけると大きく手を振ってくれる。そして私も手を振り返す。あの頃のこと、ふと思い出しました。
あすかさん
小学生の頃の帰り道のお楽しみは、ビワとヤマモモ。田舎の山の中に住んでいたので、野生のビワとヤマモモの木がありました。手の届かないところは、木登りの得意な子に取ってもらって、甘くて柔らかい実を頬張りながら帰りました。
今も、ビワやヤマモモの季節になると思い出す、懐かしい思い出です。
真水の妖精さん
学校から家までは7キロ近くもあったので、帰り道はお腹が減るのか、友だちとナツメの木によじ登り食べ尽くしたり、山道に入って野いちご食べたり。季節ごと、どこに何が実るかも全部知ってた。なのでいつも実りのある道を選んで帰ってた。当時は「食べられる草」と「食べてはいけない草」を知っていて、文字通り「道草食って」帰ってたんだなぁ。
タラの芽さん
うちの近所には、路地の角っこに小さな文具屋さんがあって、そのお店でよく時間つぶしたなぁ。文房具屋さんとは言っているけども、お店の半分は雑貨と縁日でもないと並ばないようなくじ引きやらおもちゃでいっぱい。道路からは道2面全部透明の窓で中が見えてて、今思えば子どもココロをよくわかってらっしゃる飾りつけ。ニッケやハッカや匂い消しゴム。噛むと美味しい紙とか、昭和の味覚を全て覚えた気がする。あんな夢のようなお店、もうないよね。今思えば、多分だけど大して儲けにもならない子ども相手にどうやってお店維持してたのかなぁ。
セレンさん
小学校入学当初、放課後は、校庭の端っこにある学童保育に行っていた。
迎えに来てくれたのは登校班長の近所のお姉ちゃん。家ではいつも兄ちゃんに怒られているので、歩きながらしりとりしてくれる、こんなお姉ちゃんが欲しかったなぁ。
6年生って大人だなぁ。帰り道短く感じた。
新居浜のバツ一さん
帰り道かぁ。今は一人暮らしなので、家に帰ったところでってのもあってか、特に心躍ることはなくなったけど、あの頃、考えてもなかったけどきっと何処かわくわくしながら帰ってたのかも知れないね。家が近づくと、お風呂の煙突と台所から湯気立ってて、いい匂いがしてくる。
「今日は煮物かな?」とか、急にお腹がすいてきて、「ただいたまぁ!」といって、玄関の引き戸を開ける。兄弟喧嘩もあったし、何かといえば怒られるし、これと云って普通のことだけど、思えばこんな幸せなことってないなぁと改めて思ってしまいます。
牧場むすめさん
家までは、バスを降りてから約30分も歩いてた。小学1年生の私には結構しんどい道のりでした。お腹は空くし、疲れてるしで、道の端で寝てしまうことが多々ありました。気がついたら近所のお宅で目が覚めて、おばちゃんが「銀杏食べる?お饅頭もあるよ」とオヤツとお茶を出してくれたり、誰かに家に送り届けられたり。車一台が通れるほどの道幅。そこで寝てたのは、近所では有名なことだったようです。ある日、どうしても眠くて道の真ん中で座り込んでしまったことがありました。田舎なのであまり車も来ないはず。でしたが、あいにくその日は父が早く帰宅したらしく、父の車に轢かれそうになったのです。驚いた父には、もちろん怒られましたよ。「寝るなら端っこで寝るように!」とね。
先輩と呼ばないでさん
高校3年の夏。部活の帰り道に待っていた、2つ年下のアイツ。
アイツの学校は町中の海の方。私の家は、アイツの家とは随分離れた山の方。
「一緒に帰っていいですか?」
突然の出現に驚いて、きょとんとしていると、一緒に帰っていた部活の仲間が、ひやかしながら先に帰っていった。
アイツは、他校との合同練習でよく知っていたので、家まで話をしながらおくってもらった。遠い道のりも、上り坂も、全く苦に思えないほどの楽しい時間が、部活を引退するまで続いた。
私の家からアイツの家までの帰り道。どんな思いだったんだろう?
お山の子さん
小学校の時、好きだった男の子との帰り道、雨が降っていたので私は傘をさしてその子は傘を忘れていたので濡れながら帰っていましたが「入る?」と言えず、その子も何も言わず2人で帰っているとその子のお母さんが傘を持ってきて「なんで傘に入れてくれんのよ」と、きつく怒られましたが、あの時は言えませんでした。ごめんなさい。
つぶみかんさん
もう、断片しか覚えてない。てか、思い出したくないという方が正確かも。中学の時好きになった女の子と始めて帰った日のこと。とにかく、そこまで破綻しますか?!っていうくらい、尻滅裂になった(笑)どうした!お前!右手と右足を同時に出すような。「こっちから帰るん」いや。今帰ってるやん。一言云っては、ずっと黙り込む。何とかせねばと思えば思うほど…真っ白になる。今回、その時何をどう話したのか思い出そうとしたけど…。多分、何かの自衛本能が邪魔をして出て来ない。もうすっかり時効なんだけど。きっとテープでぐるぐる巻きにして、コンクリートに詰めて何処か見つからない場所に埋めたんだろうなぁ…。これを甘酸っぱいというのだろうか?あぜ道に白いタンポポが咲いてたのだけ絵本のように覚えてる。
サンダルチアさん
高校時代。学校近くのたこ焼きやに寄り道して帰る。それが日課になっていました。4畳半ほどの狭い店で、おいちゃんの後ろにある階段を登ると、頭がつっかえそうな今風にいえばロフト?でも多分あれは屋根裏部屋(笑)そこには、ビッシリと漫画本が並んでて、小さな窓から下校していく生徒たちが見えて。1皿120円で20個もあったたこ焼きをアフアフ言わせながら日が暮れるまでマンガを読んでた。今日の反省もなく、明日の不安もなんもない時代。ほんと幸せだったなぁ…。
余談ですが、その店で高校3年の夏だったか、「カキ氷はじめたんよ」とおばちゃん。「食べてみる」といって、お茶碗に氷を盛って出してきた。「お砂糖入れた方がええかい?」いやいや。その前に茶碗はないし!
あの衝撃は今でも鮮明に覚えてる。(笑)
スカイループさん
僕らが子どもの頃は、どの町にもすぐ近所に銭湯があって、おやじと一緒によく出掛けてました。コーヒー牛乳。ヨーグルト。湯気のあがる身体の腰にタオル一枚巻いて、キャップを針で刺してポン!と開けて飲む。美味しかったなぁ。大体いつも夕暮れ時で、少し空がオレンジ色になってて銭湯の明かりに暖簾が揺れてて。建築業だったおやじは銭湯には必ずセッタを履いて出掛けてて、そんな黄昏の路地を「チュリッ…チュリッ」と音をさせて帰ってた。あの音何気に心地よかったなぁ…。
身の上陽水さん
中学の頃、誕生日のプレゼントだったのかなぁ。パイオニアのステレオセットを買って貰った。それがきっかけでオーディオという世界にハマったのです。で、その頃学校帰りに家路とは真逆。松山の中心街にあるオーディオショップに良く通ったものです。ほんと小さなお店で、1ミリも商売っ気のない店主が一人、いつも半田コテ片手にクラシックをかけながら誰かのアンプを直してた。元々口数の少ない人でしたが、毎日のように通い気に入ってくれたのか、色々な話を聞かせてくれた。数時間も過ごすと喉が渇いてくる。すると店の隅で沸かしてるコーヒーポットを指さして「お砂糖とかないけど飲んでいいよ」スゴイ苦い飲み物を覚えた。興味を持った趣味そのものもそうだったけど、世界のこと、哲学のこと、随分背伸びをさせて貰ったなぁ。もうその方のお話も聞けなくなったけど、とても感謝しています。当時憧れの人だったけど、あんな風にかっこよく人生送れてるかなぁ…。
ときたまごさん
あの頃、寮生活だった友人が、帰りに仲良しの友達んちに寄って宿題をしてたってのを聞いてなんだか羨ましかった。私は…というと、昔っからずーと地元で、実家で暮らしてるので、何ひとつ変わりのない帰り道。でも、確かに車が増えたし、土の道なくなったし、何より歩くことがなくなった。車で走ってると、きっと見えなくなったもの沢山あるんだろうなぁと思う。小さな路地に入ることはないし、便利になった分、視野はずっと狭くなったのかも知れません。
ひょうえもんさん
小学校はすぐ目の前の高台にあり、走れば1分もかからない距離でなので、帰り道の思い出がありません。逆に中学校は4~5キロの道のりを自転車で通っていました。
その帰り道、お決まりの休憩場所で、一緒に帰る同級生と、家から持ってきたおにぎりを食べたり、木を拾ってきて、ノックの要領でダムめがけて石を打って遊んでました。ダムに届いて、輪っかが広がるのが見えたらホームラン。10スイング中、たくさんホームランを売った方の勝ちでした。
その同級生は、5年前に病気で亡くなり、その思い出の場所は、今は人や車も、滅多に通ることのない寂しいルートになってしまいました。
暑い夏も寒い冬も、自転車で通い続けた帰り道の思い出です。
それゆけ!とぼきちさん
小学校高学年から、町の小学校区へ、算盤塾に行きました。いやいやだったけれど、違う小学校の友達もできました。その友達から聞いて帰りに寄るようになったのが『いけちよ』という駄菓子屋さんでした。近くのお店にないクジもたくさんありました。こがらのおばあさんがニコニコ笑顔で迎えてくれました。それから『いけちよ』に寄るのだけを楽しみに算盤塾に通っていました(笑)
中学生になって知ったのですが、『いけちよ』は、『池田千代』さんというおばあさんの名前で、中学校で仲良くなった女の子のおばあちゃんでした。そういえば、優しい目元がよく似ています(笑)
このテーマのお蔭で、懐かしい思い出を思い出しました。ありがとうございました(*^^*)
あんぶん姫さん
帰り道と聞いてすぐ思い出すのが小学校の時、習字の帰り道に寄ったおばちゃんちで初めて色のついたテレビを見ました。ヤン坊マー坊天気予報でした。
色がついていてびっくりしました。
《番組にお寄せいただいた感想》
ちびうささん「リスナーさんの回顧録を垣間見たそんな時間であり穏やかに聴ける時間」
ガブリエルさん「みなさんの帰り道の映像を思い浮かべながら聴くラジオ番組」
あすかさん「本放送も楽しみだけど、朝5時のココロ音ラジオも好き」
それゆけ!とぼきちさん「今から再放送が楽しみになるほっこり番組」
声の出演
おとな:りささん
お届けした曲
番組テーマ曲:カネコアヤノ「布と皮膚」
エンディング曲:ちさ&ぷるんとろん合唱団「オムライスのうた」
・小島真由美「一緒に帰ろうよ」
・Sam Cooke「Bring it On Home to Me」
・ハンバートハンバート「マイ ホーム タウン」
・井上陽水「うちへお帰り」
・アリス「あの日のままで」
・FUN 井上陽水
・COWCITY CLUB BAND「まっすぐ帰るよ」
・曽我部恵一BAND「満員電車は走る」
・今夜、リンゴの木の下で 斉藤和義
・Michael Buble「Home」
・カノエラナ「あーした天気になぁれ」
・Saucy Dog「スタンド・バイ・ミー」
予告編
・映画 禁じられた遊びより「愛のロマンス」
・Dr.スランプ アラレちゃんオープニング曲「ワイワイワールド」
番組ではココロの声を募集しています
- お子さんの笑い声、歌、お話など、ボイスメールにてお寄せください。動画でもご投稿いただけます。(こちらで音声のみを抜き出します)
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