第51回目・3月13日

Hello! NEW 新居浜FM78.0で放送中の「ココロ音ラジオ和音」
この番組は皆さまからお寄せいただいた「子どもの声」と「大人の思い」を「和音」にしてお届けします。
進行・プレゼンター 山本清文

テーマ「あなたが私にくれたもの」

してくれたこと、話てくれたこと、やらせてくれたこと…。そんな思い出をお寄せいただきました。

東播磨・神戸・姫路の北条早雲さん

5年前のこと、知り合いの音楽のユニットのリーダーが「君もラジオにメッセージ送ってごらん」と勧めて下さいました。当時私は19歳。初めて採用された時の嬉しさは今でも忘れられません。以来、地元のコミュニティFMから始まり、今はMUSICBIRDメインでノンストップで投稿しています。ラジオが私にくれたもの…。

あんぶん姫さん

小学校の時、担任の先生がお休みで教頭先生がみてくれていた日のこと。
私はいつものように給食が食べられず、放課後まで残って食べていました。それを見ていた先生が、「よく頑張ったね」と声を掛けてくれた。そして、単車で家まで送ってくれました。(当時は道も悪かったんでしょうね)教頭先生の後ろで単車がガタンガタンする度にお尻が痛かったこと…(笑)今でも不思議とよく覚えています。

新居浜のバツ一さん

中学2年の夏。陸上部だった私は、大会を前に足を捻挫してしまい、出場出来なかった。当時かなり頑張っていたので、それはもうショックで酷く落ち込んでたのですが、その時クラスの友達が「これお前のファンらしいぞ」といって手紙を持ってきてくれたのです。開けてみると、自分の全く知らない名前が書いていた。1学年上の女の人でした。私が1年の頃からずっと見ててくれたそうです。「来年こそがんばってください」それは泣きそうなくらい嬉しい手紙でした。その人のお陰で翌年好成績を納めることができました。え?その人とその後どーなったかって?それは聞かないで下さい。

つぶみかんさん

中高の6年間続けたブラスバンド部。それは私に音楽の楽しさを教えてくれた。我慢強く続けることの大切さを教えてくれた。コンクールでの達成感を味あわせてくれた。今思えば、生涯の友も与えてくれた。学生時代なんて振り返ることもなかったけど、あの頃割と大切な時間を過ごしてたことに改めて気づきました。

姫路のいちごみるくさん

初めてメールします。あれは私が5歳の時、引っ越しをした時のことです。両親はバタバタと忙しそうにしていて、居場所がなかった私はトラックの側でボケっとしていました。しばらくしてお向かいから、私と同じくらいの年の男の子が出てきて、私にソーダの棒アイスをくれました。何も喋らず、2人でトラックにもたれて食べたなぁ。それから毎日一緒に遊ぶようになりました。1年後、私はまた引っ越しすることになり、その子とはそれっきり・・・。もう、名前も覚えていないけど、多分、私の初恋の人でした。(照)

そらのくもさん

高校の卒業式が終わって友達と一緒に挨拶回りをした。最後に担任の先生と体育館で会い、それまで平気だっのに何故か涙があふれてきた。
卒業式後、すぐ就職先の会社での寮生活。いろんな不安があったのかなぁ。
先生は「もう準備はできた?」とか優しい言葉をかけてくれた。すごく嬉しくてまた涙があふれた。

大洲のリツローさん

母方の祖父は元小学校長で、世間では頑固で厳しい人で通った人でした。でも初孫の僕にはとても優しく、いいじいちゃんだった。
じいちゃん家に物を届けると「おい、お使い賃をやれ!」とおばあちゃんに命令し、いつもお小遣いをくれた。
「テレビが映らんなった!」と言われたので見てあげると、後ろのアンテナ線が外れてただけなのに「電気屋に言うたら何万円も取られるとこじゃった」と言って、またお小遣いをくれた。
中学の夏休みにはいつも数学を教えてくれて、おかげで方程式は大得意になった。
僕が結婚し、子どもができた時、初の曾孫ということで、見たことない笑顔で可愛がってくれた。
じいちゃんは112歳まで生きる!と言ってたが、曾孫が2歳の時、89歳で亡くなった。
じいちゃんは、いろんなものを僕にくれた。
お小遣いと、知識と、思い出と…

えんとつ山の猿さん

どの美容室でも、人の4倍はあると言われてきた。親の気持ちが痛いほどわかる年齢になり、親からもらった、この髪の量にありがたみを感じる。

抹茶色さん

5~6才の頃かな?母と一緒にデパートに行った時のこと。疲れた私をベンチに座らせ「買い物をしてくるからここで待っててね」と言って、母は一人で買い物にいきました。最初は平気だったのですが、だんだん心細くなって泣きそうになっていた時、知らないおばあさんが来て「今日は誰と来たの?おばあちゃん疲れたから、一緒におってもええかしら?」と言って、私の横に座ったのです。
「お勉強は好き?好きなアニメはなあに?お友だちと何して遊ぶん?」おばあさんは、母が戻るまで一緒にいてくれました。
あの時のこと、今でも時々ふっと思い出します。

真水の妖精さん

私はひとりっこということもあってか、うちの母は、わたしが小さい頃から「一緒につくる?」といって料理のお手伝いをさせてくれました。それこそ、団子をこねたり、お菓子の型抜きをしたりくらいのことだったと思いますが、いつもい~い匂いのする台所でとても楽しかった思い出があります。なので…というか、今の料理好きも、文字通り母の味も私にはしっかりと宿ってて、今度は私の番。毎晩娘と一緒に作っています。^^この子も料理好きになってくれるといいなぁ…。

ちびうささん

子供の頃、母は更年期で、ひどい時は1ヶ月近く寝込んでいた。そんな時、ご飯を作ってくれてたのは父。
遊び道具に紙飛行機や紙鉄砲の折り方を教えてくれたり、竹とんぼや水鉄砲・すす玉鉄砲とか色々作って遊んでくれた。
女の子なのに、おままごとの記憶がほとんどないのは、そんな理由かもしれない。

サンダルチアさん

してくれたことといえば、やはり親の存在を忘れる訳にはいかない。ある意味、過度の期待をせず、自由奔放に育ててくれた。それでも、父は僕が「家業を継ぐ」と言った時、心なしか嬉しそうに笑った気がした。何かをしてくれたとか普段意識はしていないけど、感謝の気持ちは忘れたことはありません。

ときたまごさん

私はおばあちゃん子で育ったので、おばあちゃんとの思い出はほんとに沢山あります。春先になると一緒につくし採りにいったり、お手玉したり、おはぎを一緒に作ったりしました。
ずっとニコニコ笑っているおばあちゃんの顔が記憶にあります。多分、してくれたことはいっぱいあるんだけど、思い出してみると、随分大きくなるまで、ずっと私のこと励ましてくれてたんだと思います。
「よしこは偉いねぇ。」
「よしこはよぅ頑張った」
「よしこと居られるだけでばあちゃんは幸せよ」
その声は、おばあちゃんが旅立ったあとも、ずっとココロの奥で聴こえています。

蔵のすけさん

「お前なら出来る」今は亡き、高校の恩師のことば。僕が苦しくなった時、そう云って必ず掛けてくれたことば。「スーパーマンやないんやから」といつも冗談交じりに返してたけど、ほんとはずっと嬉しかった。あの時伝えることの出来なかった言葉を今更だけど伝えたい。いつもありがとう。本当に心強かったです。

身の上陽水さん

高校受験の頃、私はどっぷりラジオにハマってました。特に深夜ラジオ。今思えば、オールナイトニッポン全盛期かなぁ。鶴光のオールナイトニッポンは、まぁ。どちらかというと勉強の邪魔をしてくれたって存在だったけど、ちょっぴり大人の世界を覗かせてくれた。机に座って、ポチっとラジオのスイッチを入れると、母が夜食を持ってきてくれる。「お。頑張らねば」とおにぎりを頬張りながら、ご機嫌な曲を聴く。当時はがきを書くなんて大それたことは思いつきもしませんでしたが、それでも、何だか自分のためだけに喋りかけてくれている感じがとても好きでした。お陰かどうかは分かりませんが無事志望校にも受かりました。でも、今振り返ってみると、ただ眠気覚ましにってだけじゃなく、ラジオからは色々なものを貰った気がします。

笑い孟(わらいだけ)さん

うちはもう何代目になるのかなぁ。残してくれたと云えば、代々続くこの実家。なんだけど、そろそろたいがいガタがきている。修理いうてもあれよ。普通にリフォームもしんどい所があって。正直今まで何度も「どーしよかなぁ~」と口にしてきました。けど、やっぱり生まれ育った実家。長男の私が手放す訳にもいかず(笑)
でも、それこそ傷の一つひとつに思い出あるし、頑張って息子たちに残してやらんといけんなぁと思っています。きっとじいちゃんも、父ちゃんも、そうやって残してくれたもんなんやから。な。

それゆけ!とぼきちさん

わたしにとって小学2年生は最悪の時期でした。
大雪の記念写真に一緒に写っていたのは、産休でお休みだった山田先生の代わりの若い先生。この先生が来られる前は、怖い怖い教頭先生が担任。いつも不機嫌で、九九がなかなか言えないことで怒鳴られ、図工の時間も、「貝掘りは立ってするのか!!」と、げんこつが飛び!泣くこともしばしば。そんな2年生が終わり、山田先生も復帰されましたが、もう私の担任ではありませんでした。
でも、その時山田先生が、わたしに笑顔で
「3年生はどんな?」
と声をかけてくれました。担任以外の先生がわたしに声を掛けてくれることは初めてで、とても驚きました。そして、もじもじするわたしの手を握って「3年生でも頑張ってね!」と笑顔で言ってくれました。とても暖かい手でした。わたしが最悪の2年生を見いてくれたようで、凄くうれしかったのを今でも覚えています。女優の中田喜子(なかたよしこ)さんによく似た綺麗な先生でした。(笑)

スカイループさん

私が子どもの頃は、割と友達とも家の行き来がけっこうあって、毎朝「たーけーちゃん、いこう!」って誘いに来てくれて、学校の帰りに何人かクラスの友達が寄って遊んで帰ってました。うちの子はそんな感じじゃないので、今の子どもたちはどーなのかなぁ。朝「一緒にいこう!」夕方「またなー」って掛け声。懐かしいなぁ。あの頃うちだけじゃなく町内のあちこちであった気がする。別に普通のことだと思ってたけど、あれは特別な時間だったのかもね。


声の出演

おとな:セレンさん、やまだゆりかさん、のまあやこさん


お届けした曲

番組テーマ曲:カネコアヤノ「布と皮膚」
エンディング曲:ちさ&ぷるんとろん合唱団「オムライスのうた」

・トータス松本「笑ってみ」
・大橋トリオ「KOE」
・Keith Urvan「Blue Ain’t Your Color」
・忌野清志郎「誇り高く生きよう」
・Pitbull「BON BON」
・ティコ&イッチー「ホントはみんなfeat.ハナレグミ」
・平井堅「切手のないおくりもの」
・rica「negai」
・Norah Jones「I’ll be your baby tonight」
・森山直太郎「涙」
・ハンバート ハンバート「ねる子よ育て」
・ヒグチアイ「きっと大丈夫」

予告編

・金太郎
・山崎まさよし「セロリ」


番組ではココロの声を募集しています
  • お子さんの笑い声、歌、お話など、ボイスメールにてお寄せください。動画でもご投稿いただけます。(こちらで音声のみを抜き出します)
  • あなたの子どもの頃、一番しあわせだった時の思い出を、メールまたはボイスメールでお寄せください。あまずっぱい初恋の思い出も募集中!


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