第46回目・1月2日

Hello! NEW 新居浜FM78.0で放送中の「ココロ音ラジオ和音」
この番組は皆さまからお寄せいただいた「子どもの声」と「大人の思い」を「和音」にしてお届けします。
進行・プレゼンター 山本清文

我が家のお正月

ちびうささん

お正月三ヶ日は家長の父が御雑煮を作るのが我が家のお正月。
そして母は半ぼいっぱいのちらし寿司を作ってました。
それと親からは元旦早々から出歩くもんじゃないと言われて、元旦は家で大人しく過ごしてました。

桜もちさん

子どもの頃の年越しは、いつも父方か母方の田舎へお出掛け。親戚中が集まりワイワイ大人数で過ごす。あんなに大きな邸宅ではなかったけど、まさにサマーウォーズの光景だ。年に一度しか会わない親戚のおじさんおばさん。従兄弟(いとこ)たち。今思えば、あれは夢だったんじゃないかと思うくらい、それはそれは賑やかな時間でした。
もうあんなお正月味わえないのかなぁ …。

ひょうえもんさん

子どもの頃、裏庭に「カマヤ」と呼んでた竈(かま)のある小屋があり、年末には毎年家族や親戚が集まって、餅つきをしてました。正月から暫くの間は、毎日たくさんお餅を食べてましたね。
母方のじいちゃんばあちゃんちが近所だったので、お年玉をもらいに行くのと、帰省してるおじさんたちが買ってきてくれたおもちゃのお土産がとても楽しみで、それで従兄弟たちと遊ぶのが恒例。とても嬉しかったのを覚えています。
歌に出てくる
「駒回しや、凧揚げ、羽つき」も実際にしてました。
今は餅つきもしなくなり、正月に親戚が集まることもなくなりました。 暇で静かなお正月。
でも、今年は何年ぶりかに、3 人の子どもが帰省する予定なので、久しぶりに家族揃ったお正月が迎えられました。

牛メガネさん

子供の頃の年明けは、朝は丸餅・白味噌のお雑煮食べて、昼は手作りの おせち料理。親戚が20人近く集まった時は、駅伝やってるテレビの前で、さわち料理を囲んでわいわい会食してました。食後は近くの畑に行って凧揚げをしましたが、凧が上がりすぎて 下ろすのが大変だった記憶があります。今ではほんとに懐かしい思い出です。

真水の妖精さん

お正月といえばやっぱりお年玉。あの頃我が家には「集まったお年玉が少なくても5千円が貰える」というルールがあった。だから、誰にお年玉を貰っても、いくら入っているかは気にはせず「私は5千円貰える!」と。小学6年生の時、今まで開けたことのなかったお年玉の袋を覗いてみた。中には5千円札。中学1年の時、おじさんの袋を覗いてみました。 中には1万円札が。
この5千円ルール、中学3年まで続きました。得をしたのか損をしたのか・・・ 今でも何だかモヤモヤします。(笑)

大洲のリツローさん

20代の頃、大晦日の夜、地元の若い衆が近所のお寺に集まって餅つきをして、初詣客に雑煮を振る舞ってました。
あの頃は地域も活気があって、和尚さんや地元人達に喜んでもらってましたが、みんな次第に「年末年始は家庭でゆっくり過ごしたい」風潮になり始め、そんな行事も自然消滅してしまいました。
今はお寺も神社も、わずかな人が訪れるだけとなりました。

ごんさん

高校卒業の頃からか、毎年夜中12時を過ぎたら近くの神社に初詣。平成に入った頃からそのお参りも随分人が増え賑やかになったけど、行き始めた当初は誰もいない提灯の明かりと境内の明かりだけの神社で拍手叩くのが習慣になった。そして、除夜の鐘を聞きながらギターの弦を新品に張り替える。これが今も続く私の年越しスペシャルデー。一年で一番静かな夜。何気に大好きなひとときです。

となりのおばさん

大晦日から祖母の家に集まるのが我が家の恒例でした。
大人数になるので、多少の気まずさや居心地の悪さを感じながらも、この時 だけは、大人と一緒になって遊べる花札に夢中でした。祖母の家には花札が5セットもあって、ここまでくるともやは大会?
小学低学年。ルール覚えるのもやっとの頃、私のライバルは神戸のおじさん。負けず嫌いの私は夜通しやってた記憶があります。 絵柄がとっても綺麗だったなぁ。特に桜や菊、鶴が好き。だからなのか、私はかるたやトランプよりも断然花札派です!

多喜川の主婦さん

山本さんの言っていた、おおみそかは何食べてもいい。お正月は自由。私もそんな記憶があり一票を投じます。(笑)
眠い目を擦りこすり、除夜の鐘を聞くんだ!と頑張っていつも気がついたら朝でした。(爆)そして、毎年年末年始に特別番組と称してやっていたのが「大脱走」と「ベンハー」何度観たことか。今の映画好きはこの特番のお陰なのかも知れません。^^

セレンさん

クリスマスが終わると
母が仕方なさそうにお客さん布団を用意し始める。
生涯独身を通した父の姉
大阪のおばちゃんが帰ってくる。
年末年始は、おばちゃんと寝て
こたつの天板を裏返して、花札やって、お餅を食べて
おばちゃんが大阪へ行くと
母の短いお正月が始まる。

身の上陽水さん

我が家は、祭り、正月といった神事には必ず父が中心になって行ってました。
「盆や祭りに仕事するもんやない」が父の口癖。神棚はおなごは触るな。そう言って全ての整えごとをやってた記憶があります。 御節は母が作ってましたが、お正月の雑煮は父の手作り。これが妙にウマかった。母も決して料理が下手ではなかったが、焼肉とかすき焼きといった、今日 は特別!ってときのあの味。料理人でもなかった父の振るうお手並みは、今ではもう味わうことが出来ません。もう一度だけ食べてみたいなぁ。

それゆけ!とぼきちさん

お正月といえばお年玉です。お小遣いも少なく、貯めて何かを買うこともできませんでした。だから、このお年玉を持って街のおもちゃ屋さんに行くのが楽しみでした。わたしは毎年ぬいぐるみを買っていました。残りのお年玉は皆さん同様貯金です(笑)
当時は毎月、小学校に農協の職員の方が来られて貯金していました。修学旅行の積み立てです。通帳は預けていて親から渡されたお金を貯金します。普段は千円くらいでしたが、1月だけはお年玉を貯金していました。6年生になって初めて自分名義の通帳を渡された時の感動は忘れられません。1月だけたくさん貯金していた通帳を(笑)

あんぶん姫さん

私、この歳になってつくづく思うんです。
子どもの頃は何もわからず、お年玉を貰うためだけに云っていた「あけまして おめでとうございます!」
あれは、何事もなく無事年が明けて有難い。「おめでとう!」ってこどなんですよね。
一年一年、出来事が深くなっていくお年頃です。

サンダルチアさん

あれは、お正月だったか秋の祭りだったか忘れましたが、とにかく親戚が集まると、夜通し始まるマージャン大会。何をやってるのかを知る頃には中学を迎 えてましたが、とにかく大きな笑い声と何やらジャラジャラとかき回す音。 ふすまを隔てて聴こえてくるその音が、子どもにとって環境悪そうに思えますが、僕には妙に心地よかったのを覚えています。特別な日の集まりの音楽のよ うに聞こえて。

宛名書き1枚五円300枚さん

ポストマンの父ちゃんは、クリスマスにも忙しい年の暮れもいなかった。ばあちゃんと母ちゃんが、何やら忙しそうにしていた。
おせちは、母ちゃんが耳を歌合戦に傾けながら作っていた。
元旦は、朝早く出て行った父ちゃんが昼過ぎには帰ってくる。
ひと風呂浴びて、我が家のお正月の始まり。
おとそを飲んで、お年玉をもらって、届いた年賀状を見て、夕飯は決まって水炊き。
ずっと一緒に食べれなかった父ちゃんと囲む鍋。結局、母ちゃんは忙しいけど、嬉しそうな母ちゃんのお正月。父ちゃんが家にいるのが一番だったんだろううなぁ。

空野曇(そらのくも)さん

子供の頃、お正月には母方の実家に行って、親戚の家族が集まり賑やかに過ごしていたのを思い出します。大人たちからお年玉をもらい、みんなでトランプをしたり、いとこたちと順番に五右衛門風呂に入ったり。
母の一番上の兄である叔父さんが、紐を何本かまとめて持ち、その先を子ども達に持たせて紐の1本に五円玉を通して上から落とし、その先を持っていた子が当たりという遊びをしていた。当たった子はお年玉とは別に、お小遣いをもらっていた。
あれは叔父さんが考えたのかは今でも謎だけど、毎年恒例でやっていたなぁ。


声の出演

子ども:てらもと まなみさん、かまくら かずまくん

お届けした曲

番組テーマ曲:カネコアヤノ「布と皮膚」
エンディング曲:ちさ&ぷるんとろん合唱団「オムライスのうた」

・ユニコーン「晴天ナリ」
・rei「My Mama 」
・noon「インマイライフ」
・ハンバートハンバート「Blowin’ in the wind」
・椎名林檎「カーネーション」
・Elvis Presley「明日に架ける橋」
・Paul McCartney&Wings「Band on the Run」
・ハンバート ハンバート「ふるさと」
・松任谷由美「A Happy New Year」
・ハナレグミ「11Dandy」

予告編

・巨人の星
・ウルフルズ「バンザイ」


番組ではココロの声を募集しています
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