第64回目・9月11日「無くなったもの」

Hello! NEW 新居浜FM78.0で放送中の「ココロ音ラジオ和音」
この番組は皆さまからお寄せいただいた「子どもの声」と「大人の思い」を「和音」にしてお届けします。
進行・プレゼンター 山本清文 ディレクター・乗松佳洲彦

テーマ「無くなったもの」

子どもの頃にどんなケンカをしたか、お寄せいただきました。

東田(あずまだ)の黒住(くろずみ)さん

今はもうないあの場所、私が現在住んでいる愛知県豊橋市にはたくさんあります。豊橋丸栄、豊橋西武の両百貨店は21世紀に入り相次いで閉店しました。駅前大通の名豊(めいほう)ビルも開発ビルも最近取り壊され、中心市街地は再開発が始まっています。新しい街に生まれ変わることには心弾みますが、同時に寂しさも感じます。私が小学校低学年の頃、母親に連れられて開発ビルで週一回、エレクトーンの教室に通っていたこと、今でも遠い記憶の彼方に残っています。
毎週日曜日の早朝、ミュージックバードの配信で聴いております。パーソナリティの山本清文さんとは本名が一字違いで親近感を感じております。

牧場むすめさん

20年ぶりに中学まで過ごした場所に行ってみました。
道も新しくなっていて、知らない通りを行くと小学校があった場所には何もありませんでした。懐かしさに浸りたかったのに、面影すら残していませんでした。
思い出は全部、心の中だけになりました。

そらのくもさん

昔新居浜にはニチイやダイエーというデパートがありました。子供の頃お正月に貰ったお年玉を持って、母と妹とバスに乗り買い物に行くのがとても楽しみだった。昔はお正月三が日は、ほとんどのお店が閉まっていて街はとても静かだった。唯一3日から開いていたデパート。そこは特別な場所のように思えた。

身の上陽水さん

今にして思えば、高度成長期ってことなのかな?町のあちこちで新築の家とかたくさん建ってて、時々あちこちで棟上の餅撒きやってて。そんな光景も今ではトンと見かけなくなりましたが、そういう環境のせいか、ドラえもんの公園の土管じゃないけど、建築途中の現場だったり、建築資材を置いた空き地なんてのが結構あって、子ども心をくすぐる好奇心100%のヒミツ基地。
当時家はボロ家で、自分の部屋こそなかったけども、自分たちだけの場所がそこにはあった。あの頃は空も今よりずっと広かったんだろうなぁ。

真水の妖精さん

子どもの頃住んでいた所には、周りに廃墟になった工場がいくつもありました。昔の工場なので、木造のものが多かったと思います。兄弟でよく探検をしたものです。グラグラして階段が所々落ちてるのを登って2階へ行ったり天井裏に上ってみたり、で、天井が抜けて下に落ちて大笑いしたり。早朝にゴゴゴゴゴという音が聞こえてくることがありました。そう、工場が崩れ落ちる音です。
それを聞いて、あぁまた遊び場が一つ減った・・・と思ったものです。私たちが引っ越す頃には、全ての工場が朽ちていました。そうやって思い出の場所が壊れていくのを見てたんだなあと思うと、あの頃の自分、どんな気持ちだったんだろうなぁ。

隣のきぬちゃん

ゲーム電卓って知ってる人居るかな?出てきた数字と同じ数字を出して消していく。延々8時間でも9時間でも続けて出来る。中学生ころおもいっきしハマってた。あれを無くした時はショックで落ち込んだ。大人になった時、復刻版が発売されたんだけど、思ったより随分高くて(笑)諦めました。誰か持ってて要らない人いないかなぁ(笑)

それゆけ!とぼきちさん

昔は、スーパーとかがなく、小さなお店があちこちにありました。子供でも歩いて行ける距離に3、4軒ありました。その中でも一番近いお店は、前回登場した二従姉妹(ふたいとこ)のともちゃんちで、歩いて数分の三宅店(みやけみせ)です。駄菓子や、食料品、日用品を販売していました。当時、半紙は、ばら売りをしてくれていて、1枚が50銭でしたから、偶数枚買うのが決まりでした(笑)日曜日が休みなんですが、外から「おばちゃ~ん」と呼ぶと店を開けてくれていました(笑)いつも行くのは三宅店ですが、散髪の帰りには、散髪屋さんが10円くれる(お釣りではありません。また来てねのサービスかな?)ので、散髪屋さんの隣のお店で駄菓子を買いました。珍しいお菓子とかクジがあるからです。だけど、帰りに三宅店の前を通るのが、子供ながらにおばちゃんに悪い気がして小走りで通り過ぎるのでした(笑)。現在は、数軒あったお店全て空き家になっています。たまに前を通ることがありますが、わたしの気持ちは、おかっぱ頭の女の子になっています…なんてね(笑)
それゆけ!とぼきちさんのリクエスト:井上陽水「少年時代」

ひょうえもんさん

子どもの頃、すぐそこにあった農協の敷地…。正面に店舗兼事務所、屋根の上にはスピーカーがあり、農協からの放送が地域一帯に響き渡っていた。「〇〇さん、牛が逃げましたので至急お帰りください」ってな放送もされてたなぁ(笑)店舗の裏には、薄暗く、コウモリが住み着いていた倉庫があり、よく勝手に遊びに入って、探検ごっこみたいなことをやってたなぁ。更にその敷地の奥には、二階が和室になっている謎の建物があって、何故かそこで地区運動会の応援の練習とかをやってた記憶がある。現在、その農協は無くなり、公民館と、米を貯蔵する倉庫になっていて、広場として残ったスペースは、盆踊り会場となっていたが、その盆踊りも、コロナ禍以来開催されていない。

きめつの八重歯さん

子どもの頃、昔はもっと色んな音が聞こえてた気がします。秋になったら虫の声も5種類や6種類じゃなくもっと沢山。神社や道端で遊ぶ子どもの声。夏に必ずやってくる「ぎょうせん飴」や「竹竿売り」の声。中でも懐かしいのはロバのパン屋さん。随分大人になってから車に変わったけど、ちっちゃい頃はほんもののロバが引いて回ってたと思う。(え?夢なのかなぁ…)(笑)

大洲のリツローさん

近所にあった小田(おだ)商店。
いわゆる駄菓子屋さんであり、文房具、プラモデル、その他、とにかく「何でも屋の小田さん」だった。みんなは「小田百貨店」と親しみを込めて呼んでいた。
1円の飴があった。当たり付きのアイスクリームで300円を2回も当てた。
靴も売っていた。滅多にない色の画用紙や絵の具もあった。6Bの鉛筆もあった。
おっちゃんが無くなったあとも、おばちゃん一人で店を切り盛りされていた。
やがてそのおばちゃんも、高齢で無理が効かなくなり、伊予市に住む息子さん家族の所へ行かれ、今は建物だけがひっそりと残っている。
店をたたむ際に、記念品が届いた。長い間お世話になりました。と、地域の皆さんへのお礼の手紙が入っていた。
小田商店…いつまでも僕の心の中に残りますように…

あんぶん姫さん

今は学校で座高測定がなくなったんですよね。私は座高が高くてイヤでした。5年か6年の時、みんな座高が70cm後半だった。私1人80cmを超えてのが恥ずかしかったんでしょうね?今でも80という数字をしっかり覚えています。検索したら、あれは徴兵検査で足が短ければ重心が低くなりいい兵士になるということだったらしい。男なら喜ばれたでしょうね(笑)

サンダルチアさん

時代と共になくなったもの…。
「恐いもの知らず」な心。「チャレンジ精神」「ときめく」気持ち、かなぁ。ひとえに年を重ねたゆえではありますが、そう思うと右も左も分からなかったあの頃が途端に宝物のような時間に思えてきました。それなりに無駄な時間も過ごしてきたと思いますが、きっとそれ以上に自分では分からない希望に満ちていたんだと思います。

渚のハルマキーさん

子どもの頃うちの父が乗ってた車。ニッサンサニーのライトバン。物凄く早かった!子どもだからそう思ったのか、本当に早かったのかは今となっては分かりませんが(笑)その車で家族5人であちこち旅行に行った想い出があります。無計画な父は旅館を予約するでもなく出掛けるからなのか大方着いた先で宿を探し、浴槽の中に虹色のライトがつくお風呂が印象的で今も何となく覚えています。大人になってからあれが○○ホテルだったと知ってつい笑ってしまいました。これはこれで私の昭和の良き想い出です。

セレンさん

無くしたもの
子供の頃お気に入りだった児童書2冊
大人になって帰ってきたら無くなっていた
失くなったこと
線香花火をやりながら歌った囃し歌の記憶
後世に残したいのに思い出せない
どうしてどちらも大切にしまって置かなかったのだろう
(今はもう・・・無くなったわ。若さ、体力、持久力(笑)…)

まるちゃん

うちは当時6人家族。あの頃なんにも思ってなかったけど、あのワイワイいいながら食べた台所の夕食。ずーとこんなん続くと思ってたけど、暖かな環境って今はほんと記憶の彼方。人の声とか会話とか、結構面倒だと思ってきたけどやっぱあれは貴重だなぁ・・・とふと思う今回のテーマです。

笑い孟さん

なくなったお店とか、いっぱいあるなぁ。名店と呼ばれるお店ほど早くなくなる。そんな気もするけど…。そんなお店が気になるのは随分大きくなってからのこと。子どもの頃のことでいうとやっぱりデパートの屋上かな。そごうとか三越とか。遊園地。あんな夢の空間提供してくれるところ今あるのかなぁ。

まきさん

引越が多かった我が家。捨てたわけではないのに、だんだん少なくなっていく家族写真。すでに父も母も他界していますが、父の写真が一枚も残っていないのには驚きました。まあ家庭を顧みない人でしたので、元々父の写真は少なかったと思います。
それにしても、家族の写真がアルバム一冊分しかないのはどういうことだ…そして、その三分の一が猫の写真って…

ちびうささん

生前父がこの椅子に座って向かいの山の風景をみながら息子らの下校して帰って来るのを待ってくれていた。
今はきっと空の上からこの風景を眺めている事だろう。(写真:ちびうささんより)
2022年9月11日放送・ちびうささんの思い出の写真

《番組にお寄せいただいた感想》
あんぶん姫さん:そういえば子供の頃、お祭りやお正月の服は「なんかい」で買ってもらってたなあ^ ^町にはバスで行っていて東城のバス停で乗り換えしていたと思う
後藤道則さん:うん。ラジオは声だけだから、わからんっていうのはあるけど、写真すら見たことがなかったら、イメージで顔のイメージが構成されてたりして。実際、公開録音とかでお会いした時に、別人感を感じることはあるんだよね…。もっとも、テレビで動いてる姿見てても別人と思う事も…。
ダイエーに入ってた、ドムドムハンバーガー。店舗ブランドとしては親会社が変わって残ってるけど、この辺にはないし、別ものなんだろうなぁ…。
それゆけ!とぼきちさん:言そうです!近くの農協の支所の二階には和室がありました!囲碁クラブが使っていましたね。今は、工場になっています。農協も、ずいぶん前に、島に一つになりましたね。
今の季節、月や星も綺麗だし、青空も…。たから、ついつい見上げる。それは、空のずっとずっと上にいると思われる懐しいたくさんの人達を思い出すようになってるのかも…(笑)忘れていた小さな思い出を集める機会をもらえて、うれしかったです。今の子供達にもあるのかな?たくさんの思い出…
大阪に嫁いだ娘は、帰省すると、古い畳の部屋で寝転ぶとホッとするらしい。婿さん、孫達も楽しいらしい(笑)うれしいね~♪
ガブリエルさん:子供の頃小銭を握りしめて駄菓子を買いに行ってたな〜
昔のロバのパンは、今で言うキッチンカー。子供の頃おばあちゃんが、リヤカーをひいてコロッケやうずらの卵のフライを売りに来ていた。あのコロッケはサイコーに美味しかった

お届けした曲

番組テーマ曲:カネコアヤノ「布と皮膚」
エンディング曲:ちさ&ぷるんとろん合唱団「オムライスのうた」

・アイナ・ジ・エンド「きえないで」
・ゆらゆら帝国「イエスタデイ・ワンス・モア」
・Paul McCartney&Wings「Band on the Run」
・Saucy Dog「ジオラマ」
・井上陽水「少年時代」(それゆけ!とぼきちさんのリクエスト)
・ROTH BART BARON「けもののなまえ feat.HANA」
・THE CHARM PARK「LOST」
・近藤圭子「パン売りのロバさん」
・森山直太朗「昔話」
・ハナレグミ「空に星があるように」
・トータス松本「いつもの道をゆく」
・大橋トリオ「タイムマシーン」
・ハンバート ハンバート「夢の中の空」

予告編:テーマ「無くなったもの」

矢島晶子「オラはにんきもの」
西城秀樹「走れ正直者」


番組ではココロの声を募集しています
  • お子さんの笑い声、歌、お話など、ボイスメールにてお寄せください。動画でもご投稿いただけます。(こちらで音声のみを抜き出します)
  • あなたの子どもの頃、一番しあわせだった時の思い出を、メールまたはボイスメールでお寄せください。あまずっぱい初恋の思い出も募集中!


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