第68回目・11月6日「乗り物」

Hello! NEW 新居浜FM78.0で放送中の「ココロ音ラジオ和音」
この番組は皆さまからお寄せいただいた「子どもの声」と「大人の思い」を「和音」にしてお届けします。
進行・プレゼンター 山本清文 ディレクター・乗松佳洲彦

テーマ「乗り物」

子どもの頃の「乗り物」にまつわる思い出をお寄せいただきました。

めろんパン菜さん

子どもの頃、家の近くに線路が通っていて、父によく連れていって貰ってました。ゴトンゴトンと音がし始めると坂の下の鉄橋から赤い電車がやってきます。鉄オタまでは行きませんが、当時走っていた路線の電車の型式とか覚えてたと思います。以来あの土手には行ってませんが、この季節になると線路脇に綺麗なコスモスが咲いてたなぁ。

渚のハルマキーさん

以前、父の乗っていたニッサンサニーが速かったってメールしましたが、ちょうど私が18才。免許を取る頃うちにあったのはあのケンメリ時代のスカイラインでした。自分専用の車なんて手に入らなかったので、その父の車を運転させて貰ってました。
あの頃こんなに名車になるとは夢にも思わなかった。分かってたらもっと大事に乗ったのに。(笑)シャンパンゴールドだったかなぁ。当時私が運転すると友達からはオジサン車だと随分バカにもされたけど、懐かしいなぁ。それこそデートには車が必須の良き昭和の時代です。

真水の妖精さん

家族旅行には、たいてい父が運転する車で行っていました。が、旅の思い出はほとんどなくて、覚えているのは車内での出来事ばかり。
フロントガラスが曇ってきた時、「おお!前が見えん!みんな頑張って息を止めるんだ!」と言われ、兄弟4人で必死で息を止めたものです。キツイ坂道で車の速度が落ちてきたら、「みんな助けてくれ!お尻を浮かせて車を軽くするんだ!」と言われ、頑張ってお尻だけ浮かせたりもしましたね。
自分にも、あんな平和な時代があったんだなあとしみじみ思います。

隣のきぬちゃん

あれは小学校に上がる前のことだったと思います。赤信号で止まったら【信号がいつ変わるか?!】という遊びをいつもやっていました。
私と妹は、今だ!と思った瞬間に「はいっ!」と言うのですが全くタイミングが合いません。父が、まるで魔法をかけるような手つきで「はい!」と言うとパッと青に変わる信号に、私たち姉妹は大興奮したものです。まあ、いつしかそのカラクリが分かるようになり、その遊びもなくなってしまいましたが40を過ぎた今でも、たまに信号待ちの交差点でふと、その時のことを思い出すと心の中で「はい!」と言いながら、信号機に魔法をかけています。
リクエスト曲:父が乗っていた車のCMソング小沢健二の「カローラIIにのって」をお願いします。

笑い孟さん

乗り物でいえば、松山の地元梅津寺パークにあったジェットコースター。あれは恐かった。(笑)どちらかといえばしょぼい作りなんだけど、そのしょぼいのが余計に恐い。けっこうスピードがのった時に目の前に海が見えてきてそこでほぼ直角に曲がるのです。「レール外れるぅぅ!?」といつも思ってました。それでも、順番待ちをして何度も何度も乗った記憶があります。当時小学校で、遠足だったのか、パークで一日乗り放題って日があって、めちゃくちゃ楽しかったんだけど、あれ、夢だったのかなぁ…。(笑)

それゆけ!とぼきちさん

私が小学生の時、唯一の日帰り旅行が、尾道の千光寺山でした。菊人形や、小さな遊園地が楽しみでした。コーヒーカップや、低い観覧車。広い柵には猿もいました。この尾道への往復は、当時は高速船はなくて、大きな旅客船でした。二等室と書かれた大きな部屋に短い階段を降りて、靴を脱いで絨毯の上に座ります。枕、毛布もあり、寝ている人もいました。上の客室は、一等室だったかな、別料金のお客さんがいたようでした。たまに、あの白い制服制帽の船長さんを見かけました。かっこよかった~(笑)帰りの瀬戸田港に着くと次は今治港です。「降りずに今治まで行きたいな~」と、いつも寂しく思いながら、日帰り旅行は終わります(笑)

ちびうささん

のりもの。我が家は父が原付バイクの免許だけだったので車がある家が羨ましかった。もう時効だから話すけど、学校の帰り、出掛けていた父がバイクで通りかかるとカブの後ろに乗せてもらって家まで帰っていた。
今思えば懐かしい父の背中の温もりを感じながら。

そらの雲さん

小学校5年生の時、親が建てた新しい家に引っ越すことになった。
荷物と一緒に、軽トラの荷台に乗った。新居まではすぐ近くだったけど楽しくて、わくわくして仕方なかった。

ひょうえもんさん

子どもの頃からジェットコースターなどの絶叫系マシーンは苦手。好きだったのはゴーカート。今は無き梅津寺パーク。大雨の中、ゴーカート乗ったなぁ。「この雨の中また乗るのー?」と係りのおじさんが呆れて聞いてきたけど、「乗るよー!」といって、乗った乗った。上から大雨。下から泥水浴びて、乗った乗った~!

竹田の兄ちゃん

乗り物といえば、今はもう無いのかなぁ…あの遊園地のコーヒーカップ。私が乗っていた時は、中央にある鉄の輪っかを回すと、回しただけカップがくるくると回るのです。それが面白くてもう回す回す。お腹痛くなるほどケラッケラ笑いながら。で、降りてきたらとても気分悪くて吐きそうになったのを覚えています。今思うとほんとバカ丸出し。経験ある人居るのかなぁ。(笑)

セレンさん

物心がついた頃、近所の長屋のおばあちゃんが子守をしてくれていてタクシーで滝宮公園へ連れて行ってくれた帰ってきたあと、迎えに来た母に激怒しながら「この子は二度と車に乗せんけんね!」
私はその後も、父が車を買って、助手席を確保するまでは車が大嫌いだった。
後日談:私は、究極の乗り物酔いのひどい子だったんです。それを知らずに近所のおばあちゃんはタクシーに乗せたものだから…
放送の時間帯を考えてオブラートに包みすぎたせいか単なる助手席好きの子に勘違いされたみたい。
父の車の助手席で訓練して少し酔わなくなっていったんです(笑)

新居浜のバツ一さん

私は乗り物酔いが酷いので、余り乗り物は好きではありません。自分で運転する車以外は大抵酔ってしまします。中でも船酔いは地獄です。(笑)この瀬戸内のほんの短い時間でさえ駄目です。でも、一度乗ってしまうと数時間は降りれません。耐えるのみ。年とって少しマシにはなりましたがみなさん楽しい思い出語ってらっしゃるのかなぁ?(笑)ただ一度だけ田舎のばあちゃん家から汽車に乗って帰るとき、持たせてくれた駅弁が嬉しくて不思議と美味しく食べた記憶があります。要は気の持ちようなのかも知れませんね。

身の上陽水さん

生まれて初めてハンドルを握ったのは遊園地のゴーカート。物凄い衝撃だった。幾つの時だったかなぁ。アクセル踏むと背中が引っ張られるようにドン!と飛び出して。その日以来早く大人になって車自分で運転したい!とずっと思ってました。
次に衝撃受けたのはやっぱり飛行機かな。あのフワっと体が浮く感じ。どんどん地面が遠くなっていく感じ。そう云えば僕の夢手帖にあったなぁ。パイロットって文字。

先輩と呼ばないでさん

18の春。新しい生活の始まり。新しい街へ運んでくれたのは、当時新居浜からも乗船していた、バンパックフェリー。夜航海、早朝到着、約6時間半の船旅。一人乗り込んで、見送りの家族や友人との紙テープが切れ、父が予約してくれた部屋へ向かうとき目に飛び込んできた。目を疑う人が目の前にいた。2つ年下のあいつ。このまま自然消滅を覚悟していたあいつとの恋。友人と春休み旅行に出るだけというあいつ。正直、その後のことは覚えていなくて、気がついたら、部屋の中で毛布にくるまって寝ていた。バンパックフェリーは、何か忘れたい記憶を航跡の波にしてくれたのだろうか?

牧場のドンさん

昔から、夢見がちな私。あのぽっかり浮かんだ雲に乗りたいとずっと思ってました。
大人になってドラゴンボールを見た時、これだ!っと思わず声を上げてしまいました。(笑)そして天空の城ラピュタ。雲のそばで海賊と空中戦が繰り広げられ、飛行船を雲にグッと押し付けて乗り込んでくる。あぁ。きっとあのそばではこんな感じなんだと、妙に納得したのです。
でも、ドラゴンボールで知りました。雲には清い心の持ち主でないと乗れない。もう無理かなぁ。

きょんちゃん

子どものころ、自転車のカゴん所に手作りしたこいのぼりつけて爆走してました。風になびかせたかったんよねぇ~!

きめつの八重歯さん

一度でいいからデパートの屋上にあった動物の乗り物に乗りたかったです。あのコインを入れたら一定時間動くやつ。デパートに行くたびに、屋上には連れて行ってくれるのになぜがその乗り物の前はスルー。私は内気な性格だったため「乗ってみたい」の一言が言えませんでした。高校生のとき、そのことを母に話すと、私が何も言わないので乗りたくないのかな?と思ってたんだそうです。「今から乗る?」と聞かれましたが、時すでに遅し。(母よ、恥ずかしくてもう乗れないよ…)16歳、心の声は胸に秘めたまま「大丈夫」とだけ言ったのを今でも覚えています。

あんぶん姫さん

幼稚園の時、貸切バスで道後動物園に親子遠足に行きました。動物園で楽しんだあと、バスに乗って待ってたんですが誰もこなくて、1人でずっと待っていました。外では、母さんや先生たちが私がいなくて必死で探していたようなんですが、動物園の駐車場には同じようなバスがいっぱい並んでいて、間違えて違うバスで1人待っていたそうです。今でも誰もいないあのバスの中の光景はよく覚えています。

秋ざくらさん

乗り物。ではないのですが、頭をよぎったのが肩ぐるま。おじさんの家に行くと、必ず肩ぐるまで近所を散歩しました。最初は高くて怖かったのですが、慣れてくると、道で会う人がみんなニコニコしながら私を見上げ「いいねえ、気持ち良さそうやねえ」と言ってくれました。肩ぐるまして欲しくて、しょっちゅうおじさんに会いに行ってたなぁ。私は大人を見下ろしながら、得意げに「こんにちは~」と手を振ってたそうですが、それは覚えてないんですよね。過去に戻れるなら得意げだった私をこっそり見てみたいです。

大洲のリツロー

先日、子供の頃の思い出の場所として投稿した地元の何でも屋「小田商店」…。
数年前惜しまれつつ閉業され、1人で頑張っておられたおばちゃんは松山近郊に住んでおられる息子さんたちの所へ行かれました。
ふと気がついたのですが、店の入口に貼ってある大きなカレンダー、これがちゃんと毎月更新されているのです。息子さんが時々帰られて、貼り替えておられるのだと拝察します。
色んな人が行き交う三叉路に佇む小田商店…、このカレンダーを見て今日という日がいつなのか…を認識する人も多いことでしょう。
最後まで地元への感謝を伝えられていた小田家の皆様…その心遣いに、自分の心もほっこりします。( *´︶`*)

《番組にお寄せいただいた感想》
後藤道則さん:飛行機って今までで、片手でも半分くらいの指で足りる程度の回数しか乗ったことないなぁ。今までで。
それゆけ!とぼきちさん:船は、今はなかなか乗る事がありません。思い出はたくさんあります(๑´ڡ`๑)

声の出演

子ども:にしもと りんたろう君 、かまくら かずま君、かまくら ゆうま君

お届けした曲

番組テーマ曲:カネコアヤノ「布と皮膚」
エンディング曲:ちさ&ぷるんとろん合唱団「オムライスのうた」

・Willie Nelson「You Were Always On My Mind」
・奥田民生「トキオドライブ」
・Giacomo Bondi「Drive My Car」
・小沢健二「カローラIIにのって」
・Glenn Miller 「Chattanooga Choo Choo」
・カネコアヤノ「ジェットコースター」
・ロッド・スチュワート「セイリング」
・斉藤和義「海に出かけた」
・Saucy Dog「あとの話」
・奇妙礼太郎トラベルスイング楽団「ルージュの伝言」
・井上陽水「闇夜の国から」
・井上杏美「君をのせて」
・サニーデイ・サービス「何処へ?」
・加藤登紀子「時には昔の話を」
・ハンバートハンバート「旅の終わり」

予告編:テーマ「熱中」

・梅沢富美男:笑ゥせぇるすまんテーマ曲「孤独の唄」
・海援隊「母に捧げるバラード」


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